甲骨もじであそぶ ちゅうごくの 十二支の ものがたり

3000年以上も前に中国で使われていた甲骨文字は、漢字の最も古い形といわれています。その姿は美しく、力強く、ユーモアにあふれています。これは甲骨文字だけで描かれた絵本。日本とは少し異なる、中国の十二支の物語にのせてお届けします。

書籍情報

甲骨文字:おうようかりょう お話:せきとみこ 構成:みかみまさこ
定価:1,320円(本体1,200円+税)
発売日:2009年12月10日
判型:185×185mm
商品形態:上製本・カバー掛
ページ数:32
ISBN:9784882842422

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著者紹介

欧陽可亮●おうよう・かりょう(オウヤン・コーリャン)
1918年、唐代の書家欧陽詢(おうようじゅん(557-644))の直系として北京に生まれる。3歳から王国維(おうこくい、号観堂)に甲骨文を学び、のちに羅振玉(らしんぎょく、号雪堂)、董作賓(とうさくひん、号彦堂)、郭沫若(かくまつじゃく、号鼎堂)に師事。1938年に郭沫若から号泉堂を授かり、20歳で亀甲獣骨文字研究の五堂となった。 1942年、上海東亜同文書院大学講師となり『華日辞典』編集にたずさわるが、終戦となり、同大学は廃校、辞典資料は接収。1954年、日中両国文化交流の贈り物として辞典資料が日本に渡されると、愛知大学で辞典編纂が再開され、1955年、招聘をうけて家族とともに来日。『岩波中国語辞典』『熊野中国語辞典』『中日大辞典』の編纂にたずさわり、外務省研修所、神戸市外国語大学、国際基督教大学、拓殖大学、東京産業大学、一橋大学で教壇に立つかたわら、甲骨文の研究と普及に努める。主著に『集契集』(中国語版〈1976〉と日本語版〈1984〉)がある。1980年、脳内出血により右手の自由をうばわれると、左書の巨匠となり、1992年、東京で没するまで甲骨文を書き続け、殷墟のある安陽で甲骨文国際シンポジウムの開催に尽力するなど、甲骨文の重要性を世界中に広めるための努力を続けた。この絵本は、著書『集契集』『甲骨文龍年書帖』と作品「十二支星斗値年月日時図」(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所蔵)、「甲骨文十二支司時図」「涕竹舟殷人東渡美洲」(関登美子蔵)から抜きだした欧陽可亮の甲骨文字だけで構成した物語の世界である。

関登美子●せき・とみこ/旧姓・欧陽效平(オウヤン・シャウピン)
1945年、欧陽可亮の二女として上海に生まれる。1955年両親とともに来日。国際基督教大学卒業、心理学専攻。ドイツ・ボーフム大学留学、治療教育専攻。聖和大学大学院教育学研究科幼児教育学専攻、教育学修士。元大阪家庭裁判所家事調停委員、現参与員。 2012年、中国国家図書館による「殷契重光‐国家図書館蔵甲骨精品展」開催に協力。父欧陽可亮の遺志実現を目的に、散乱の目に遭った文物の回収と資料収集に奔走し、寄贈を続ける。作品は現在、中国国家図書館に1700点、広東省中山市博物館に160点、広東省中山火炬高技術産業開発区に20点、神戸華僑歴史博物館に20点、神戸中華同文学校に2点収蔵され、既に一般公開されている。2018年、広東省文化物保護基金会から「2018年度文化遺産保護突出貢献人」として栄誉証書を受ける。

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